バタイユからのカイヨワ  酒井健

 

 ジョルジュ・バタイユ(1897‐1962)は、1930年代後半にロジェ・カイヨワ(1913‐1978)と活動をともにした。1937年3月、両者は、ミシェル・レリス(1901‐1990)とともに〈社会学研究会〉を立ち上げ、11月からその活動(連続講演会)を開始させている。バタイユは、当時16歳年下で、まだ24歳だったカイヨワをたいへん高く買っていたらしく、この会の初回の開催講演をカイヨワに任せている。しかしその後の講演をカイヨワは、病気を理由に何度もキャンセルした。バタイユは、同じ頃に創設した秘密結社〈アセファル〉にもカイヨワを誘ったが、カイヨワは参加を拒んだらしい。同名の雑誌『アセファル』には一度だけ論考「ディオニュソスの美徳」を寄稿している。

 

 片思いのように見えるこのバタイユのカイヨワに寄せる期待は何に発しているのか。バタイユの前で若きカイヨワが放つオーラは、高等師範学校卒の輝かしい知性、社会学の幅広い知見に留まらない。むしろシュルレアリスム体験こそが重要だったのではあるまいか。カイヨワは、1930年代初め、高等師範学校時代に、ブルトンと接触、ダリ、エリュアール、エルンストと交友関係を持ち、この前衛文化運動に加わった。1935年には「自動記述」にイメージと精神の分析を求めてこのグループを離れるが、むしろ、分析不可能なものをシュルレアリスム運動のなかで深く体験していたがゆえに、バタイユにとってカイヨワは魅力的だったと思われる。これは、レリスに対するバタイユの友愛についても言えることだろう。社会学の知識よりもシュルレアリスムということだ。そしてそれよりも深く、「宗教的なもの」の体験ということである。


 1920年代末から30年代初めにかけてバタイユがブルトンらシュルレアリスム主流派と激しく対立したことは有名だが、その後のバタイユは徐々にシュルレアリスムを深い視点すなわち宗教の視点から捉え直していった。彼の言う宗教とはキリスト教などの既成の宗教体系ではなく、その根源で体験される分析不可能な生の広がりのことである。個別的に捉えられる人間や事物の底に横たわる多様で多彩な諸力のつながり。例えば、感動的な風景を前にして、これは樹木、あれは川と識別する見方の根底で我々を捉えている全的で無限の何ものかのことだ。これを名指すにバタイユは、聖なるもの、未知なるもの、内奥性、連続性、内在性と呼び名を変えていった。最晩年のバタイユによれば「シュルレアリスムは本質的なものに触れた」「シュルレアリスムには根源的に宗教的なものがある」(「シャプサルによるインタビュー」、拙訳『純然たる幸福』ちくま学芸文庫所収)となる。


 第2次世界大戦後、バタイユはカイヨワと行動をともにした形跡はないが、1951年には書評誌『クリティック』にカイヨワの『人間と聖なるもの』(1950年の増補版、初版は1939年)へ論考「戦争と聖なるもの」を寄せている。一見して学問的で分析的なこの社会学の研究書の根底には著者カイヨワのシュルレアリスム体験があるとバタイユは言い立てている。『シーシュポスの岩』(1946)、『バベル』(1948)などのモラリスト的なカイヨワの作品の鍵がこの『人間と聖なるもの』にあるとバタイユは考えていて、さらにその出発点にシュルレアリスム時代の聖性体験があると見ているのである。


 バタイユは『ポンス・ピラト』(1961)が出版された翌年に死去している。カイヨワのこの小説に対する彼の言及は見当たらないが、読んでいたならば、おそらく『人間と聖なるもの』よりもいっそう根源的な聖性の記述を見出していたはずである。キリスト教の起源であるイエスの処刑が題材になっているからではない。史実に反してピラトがローマ人の合理主義からイエスを釈放し、そのためキリスト教が誕生に至らないという大胆なストーリーゆえでもない。イエスを死刑に処すか否かのピラトの逡巡が、他の多様な人物たちの心理・内的イメージと無限定の風景を織りなして、聖性を醸し出しているのである。夕暮れ時にピラトが夢解釈の専門家マルドゥクの邸宅を訪ねる幻想的な第5章も素晴らしいが、それにもまして、全編に亘る彼の内在的な視点のさまよいが、定めなく色をなして広がる聖なる世界を漂わせて、魅惑的なのだ。読者は、金井裕氏のみごとな訳文によって、バタイユがカイヨワ、そしてシュルレアリスムを通して見た聖性の世界を何がしか追体験できるはずである。

(2013.7.17記)

 

 

(さかい・たけし)
著書:『「魂」の思想史―近代の異端者とともに』(筑摩選書、2013年)/『シュルレアリスム―終わりなき革命』(中公新書、2011年)/『バタイユ』(青土社、2009年)/『死と生の遊び、縄文からクレーまで』(魁星出版、2006年)/『ゴシックとは何か』(ちくま学芸文庫、2006年)/『バタイユ―魅惑する思想』(白水社、2005年)など。
訳書:『エロティシズム』(バタイユ著、ちくま学芸文庫、2004年)など。
現在、法政大学教授。